朋克!朋克!朋克!


ライブや音源から今の北京パンクの音を耳にすることは多いのだけれど、何か物足りないのです。個々の音はいいし可能性を感じるバンドもいます。パンクが北京という都市の中で、音楽のジャンル・スタイルと化しつつある感がいなめない。そして音楽も細分化されつつあるなーと感じます。でも、中国人の友達に好きな音楽をたずねると、「好きな音楽はパンク!」と二つ返事なしに返ってくるのです。この温度差はなんなんだろう、といつも混乱してしまいます。


私が仕事を始めたか大学を卒業するころだったか、音楽雑誌で「北京は今パンクが熱い!」という記事を読んだ記憶があります。強烈なイメージが焼きついて、北京にやってくる時も、北京=パンクという図式が頭の片隅に残っていました。


現在、何の因果か北京で生活しています。
北京にきて初めて触れたのもパンクのイベント。ライブの熱気と荒削りな雰囲気に衝撃を受けて、色々と調べていくうちに突き当たったのが、やはり98年頃の北京パンクムーブメントでした。


今もその時の熱狂を想像すると胸が熱くなります。なぜか涙もあふれてしまうのです。
現在は現在だし、無くなったものを追いかけてもしょうがないよという人もいます。現在たらしめる原因を知りたくなるのは、自分の人生の転換期と北京でおこったムーブメントを重ねてノスタルジーな感情に浸ってるだけなのかもしれませんね。ついこの間の出来事。その時自分は何をしていたのか、日本では何が起こっていたのかを思い浮かべると、やっぱり中国は動いている国なんだな、と実感してしまうのです。


影響力がどのくらいあったのかはわかりません。ムーブメントの真っ只中にいた人は思い入れが強いでしょうし、後追いで触れた人もいるでしょう。地方に伝染して独特の動きもできたのかもしれない。北京出身の若い子や同世代の人に当時のことを聞いてみても何も知らなかったのも事実です。でも、7年前に狭いライブハウス生まれた魂が形を変えながら受け継がれていくことを願ってやみません。そしてその遺伝子を探しに今日もライブハウスに出かけていくのです。